縁切り寺について

縁切り寺の歴史を紐解こう

縁切り寺とは江戸時代、離婚を望む女性が3年間修行をすると離婚が認められるいわば、女性の駆け込み寺が由来です。
江戸時代、幕府により人々は身分を士農工商に分けられました。

また、それぞれの身分の差はとても大きいもので、たとえば、農民の元に生まれた子供はどんなに他の才能があったとしても
農民になるしか許されませんでした。そして中でも女性の身分はとても低いもので女性の意見は通るはずもなく、すべては一家の主である旦那が一番に権力を持っていました。
また嫁入りしても、妻の座は姑に握られていました。

この時代の女性は16歳ごろには嫁入りしていましたが、例えば、子供ができない場合、男性側に問題があったとしても女性のせいになっていました。
女性はこの様に権威がなかったので離婚したい場合、
縁切り寺に行き、三年間修行をするしか当時の女性にとって離婚する手立てはありませんでした。

悪縁を切って良縁を結ぶ

良縁を導くには、まず縁切り寺で悪縁を切る!

江戸時代の離婚ですが、男性から離縁状をだせば一方的に離婚が成立しました。
この離縁状には離婚の理由や妻への再婚許可などの宣言が三行半ほどで書かれていた事によりこの離縁状の俗称を「三行半」とも呼ぶようになりました。

この離縁状は出せるのは男性のみに認められた事で、女性が離婚したい場合は「縁切り寺」という幕府公認のお寺に駆け込んで3年間そこで過ごすと離縁が認められました。
幕府公認の縁切り寺は2つあり、鎌倉の東慶寺と群馬にある満徳寺です。
現在でも古くからある縁切り寺は各所に残っていますが、縁切りというのは、恋愛関連、人間関係の縁切りはもちろん物事や環境などの悪いものと縁切りする事が出来ます。
縁切りをすると悪い縁を切るだけでなく良縁も導く事が出来るのです。
皆さんも何か「こうなったらいいなぁ~」という願望があるかもしれません。
そういった時にただ「お願い」をするだけでなく最初に、現在の悪縁を切る必要があります。